サーフボード流通推進事業について |
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少なくとも、西暦400年頃にはサーフィンの原形のようなものが存在していたと考えられているが、
はっきりとは分かっていません。航海術に優れた古代ポリネシア人が、漁の帰りにボートを用いて波に
乗る術(サーフィング)を知り、そこから木製の板に乗る様になった、というのが最も有力な説とされて います。
サーフィン史家ベン・フィニーの研究によると、サーフィンは広くポリネシア全域に普及しており、東は
イースター島、西はニューギニア、北はハワイ、南はニュージーランドに及んでいたとのことです。
ちなみに、日本にも「板こ乗り」というものがあったことを、ベン・フィニー氏は知らなかったようです。
古代ポリネシア民族については、決闘した勇者たちの話や、山の部族に嫁いだためにサーフィンが
できずに悲しんだ女性の話など、いろいろな話が伝わっています。さらに、サーフィンは古代ポリネ
シア民族の儀式にまで登場したりと、この文化の中心的存在にまで上り詰めていました。
ヨーロッパ人で初めてサーフィンを目撃したのは、イギリス人の探検家ジェームス・クック船長だと
言われています。 クックは、タヒチとハワイでサーフィンを目撃し、そのことを航海日誌に書き残して
います。その後、これら島々にキリスト教宣教師たちなどヨーロッパ人が移り住むようになります。
宣教師たちは、布教にあたってポリネシアの文化は野蛮であるとみなし、文明化を理由に彼らの文化
の一部であったサーフィンを禁止し、さらにサーフボードを取り上げて焼いてしまいました。
こうして、ポリネシアにおけるサーフィンは近代において一度終焉を迎えました。 |
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現在一般的には、9フィート(約274cm)以上のロングボードと、ショートボードに分かれています。
長い間9フィート以上あったボードが短くなり始めたのは1968年のことで、その後わずか数年で
どんどん短くなり、1971年には5~6フィートの板が出てきます。スタイルや用途によって、様々な
長さ、形状の板が使われています。大波用のガンや、ショートボードでロングのような形状のエッグ
ノーズボードなどの物もあります。
発祥以来、木の板であったが、戦後から現在に至るまで、発泡ウレタンフォームをガラスクロスと
ポリエステル樹脂で包んだものが主流となりました。エポキシ樹脂(ポリスチレンなど)のフォーム
を使用したり、近年では、カーボンファイバーをエポキシ樹脂で包んだり、空洞ポリプロピレン
(ハイドロフォーム)をカーボンファイバーで包んだ中空ボードなど、より強度のある軽いボードを
作る試みもされているが、50年以上大きくは変わっていません。通常は、シェイパーあるいは
マシンによってブランクのフォームが削られる。長さ、幅、厚み、アウトライン、レール形状、
ロッカー(ノーズとテールの傾斜)、テール形状で大きく性能が変わります。モールドボードなど
と呼ばれる金型を使用し、大量生産されるようなものもあります。 |
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私たちの当団体はエクアドルで約30年前に初めてバルサのサーフボードを作りはじめたアメリカ
人のアンドレス氏のエクアドルでの新しい物づくりの功績と地域活性化に貢献した事を称え、流通
推進事業のコンサルタントとして迎え、アンドレス氏の愛弟子のエクアドル人の手によって一枚一枚
丁寧に磨き上げられた伝統的な木材のボードの普及促進を行います。現地エクアドル人の社会にて
新しい物づくりを地域の人々と共に根付かせるサポートを行いきたいと思います。シェイパーの手に
よりバルサ材を利用したボードはエポキシ樹脂などの加工の際に発生する有毒物質などによる
環境汚染を避け自然にやさしいサーフボードです。全てオーダメードによる注文によって扱っています。
*売り上げは植林、伝統文化、教育などの活動に扱われます。 |
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